

今日は何の日 8月25日パステル和(NAGOMI)アート(8月25日 記念日)
東京都国分寺市に事務局を置き、「パステル和(NAGOMI)アート」の普及と共に「和」の「輪」を広げようとしている「日本パステルホープアート協会」(JPHAA)が制定。
日付は2007年(平成19年)8月25日に「パステル和(NAGOMI)アート」のスクーリング(講座)を行ったことから。
同協会は、「心豊かで健康的な社会環境の実現にむけて」をテーマに、誰でもきれいに簡単に描ける絵で、心が穏やかになり、元気になる「パステル和(NAGOMI)アート」の普及を目指している。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
パステル和(NAGOMI)アート
「パステル和(NAGOMI)アート」は、パステルの素材の特性である穏やかで温かみのあるトーンと、それをパウダー状にして指で描くという、素朴で独特な技法が融合して生み出す、透明感のある優しくて心地よいアートである。


( ノ゚Д゚)おはようございます、私事ですが誕生祝に、今週第2弾、「カレー煎餅」シリーズ、期間限定商品「コーンスナック 金沢カレー 期間限定 チャンピオンカレー」を美味しく頂きました。
いつもの量販店で目にしたので、速攻買い試食しましたが、とても良い出来映えで美味しかったです。






今日の気になる話題は此方です。50億円を投じてでも、新施設で「うなぎパイ」の思いを春華堂が再現したかった理由
ITmedia ビジネスオンライン2021年8月23日 17:04
50億円を投じてでも、新施設で「うなぎパイ」の思いを春華堂が再現したかった理由拡大する(全1枚)
JR浜松駅から南西にクルマを走らせること約10分。
住宅と工場が立ち並ぶ道路沿いに、遠目からでも分かる巨大なテーブルと椅子が突如現れる。
行き交う人たちは、一様に上を見上げたり、目を丸くしながら指をさしたりしている。
ここは、静岡のお土産品「うなぎパイ」を製造・販売する春華堂が4月12日にオープンした複合施設「SWEETS BANK(スイーツバンク)」だ。
建物の外観は、うなぎパイのコンセプトである「家族団らん」を表現したダイニングテーブルと椅子になっているほか、敷地内には春華堂のショップバッグなどの巨大オブジェを設置する。
あらゆるアイテムが実物の13倍の大きさである。
建物には、春華堂の本社と、同社の菓子店、ベーカリーカフェ、さらには浜松いわた信用金庫の森田支店が入居する。
コロナ禍での開業となったが、連日のように地元や近隣からの来客を集めている。
「新たな観光スポットになることで、周辺の飲食店やホテルが潤うなど、地域活性化につながれば。
この浜松が全国から注目されたらうれしい」と、春華堂の山崎貴裕社長はこう期待を込める。
華々しくデビューしたスイーツバンクだが、ここまでの道のりは平坦(へいたん)ではなかった。
当初の予定から4年も遅れて完成。
総工費も約30億円だったはずが、約50億円にまで膨れ上がった。
しかし、その背後には絶対に譲歩できない、山崎社長の信念ともいえるこだわりがあった。
新型コロナウイルスの影響は同社にも容赦なく襲(おそ)いかかり、目下のところ、経営状態は決して楽ではない。
そうした中でオープンにこぎつけた新施設が目指すものとは何だったのか——。
2度のやり直し
先述したように、スイーツバンクは本来、2017年に完成していたはずだった。
この場所にはもともと、春華堂の本社社屋と工場があったが、老朽化で建て替えを検討していた。
工場については移転し、浜北工場を新たに建設したが、本社は引き続きこの地に残そうとなった。
本社を建て替えするにあたり、山崎社長のオーダーは、「世の中にないものを作ろう」。
東京タワーや東京ドームなどを建築した日建設計、愛知万博の日本館をはじめ、さまざまな大型施設の内装を手掛ける丹青社といった豪華な顔ぶれのチームが結成され、13年からプロジェクトがスタートした。
山崎社長も月1回の役員会議には積極的に参加し、意見を出した。
実は、工期が遅れたのはコロナが原因ではない。
17年に入り、ダイニングテーブルと椅子を模した建物によって、“ガリバーの世界”を体現するアイデアまで固まり、いよいよ着工という段階になった。
ところが、最終模型を見た山崎社長が突っ込みを入れた。
テーブルの脚と脚の間に梁があったため、これでは椅子が入らないと指摘。
時間をかけて模型まで仕上げたタイミングでの出来事に、関係者一同は青ざめた。
すぐさま設計デザインを再考し、模型を作り直してプレゼンテーションをした。
すると再び、山崎社長が声を上げた。
建物の屋上に置いてある空調の室外機が丸見えで、世界観が崩れるというのだ。
こちらに関しては、プレゼントボックスで囲うことで対応したが、当然のようにその分の重量が増えるため、建物の全体設計を一からやり直す必要があった。
時間だけでなく、当然コストも膨れ上がるのは自明だった。
ただし、痛みを伴ってでも、山崎社長は徹底的な「本物志向」を貫いた。
「今回の建物は、自分たちが施工するわけではありませんが、依頼者として、ずっと使っていくもの。
最後の最後まで納得いくものを作りたいと譲りませんでした。
皆さんが机と椅子に見えなかったら、非常にチープなものになってしまう。
いったん、お金のことは後で考えるとして、いけるところまではいこうと判断しました」
リアリティーがなければ、すぐに見向きもされなくなってしまう。
そんなものを作っても意味がない。
プロがやるべき仕事ではない。
山崎社長にはそうした信念があった。
山崎社長がこのような仕事観を培ったのは、大学在学中、そして卒業後に修業を積んでいた人形屋だという。
人形作りの職人は一切妥協をしなかった。
造形が本物に見えなければ、何度でも最初から作り直していた。
山崎社長はその作業が終わるまで待たされた。
あるとき、なぜ作り直すのかと、職人に理由を尋ねた。
すると、「ちょっとの違いが許せない。
その許せないものが世の中に残るのが、また許せない。
自分が生きていく価値がなくなる」とまで言い切ったという。
山崎社長は納得し、それから職人の仕事をじっと見守り続けるようになった。
こうした職人のイズムを学んだことが大きいと山崎社長は振り返る。
もちろん、春華堂自身も代々、本物志向を大切にしてきた。
例えば、菓子職人が手作業で作るうなぎパイへのこだわりと妥協を許さぬ姿勢は、まさしくそれに通ずる。
こうした末に完成したスイーツバンクは、すぐに話題のスポットになった。
開業3カ月ほどで延べ12万人が訪れたのである。
来客に共通するのは、ほぼ全員が写真撮影をすることだ。
実際、筆者も朝から夕方まで施設に滞在していたが、さまざまな角度から建物やオブジェなどを撮影する人たちが後を絶たなかった。
「納得のいくものはできました。
お客さんもこれだけ来て、写真も撮ってもらえる。
世間一般の評価を見ても、面白いものになったのかなとは思います。
その面白さがずっと続くように、飽きられないように、うまく伝えていくのは自分たちの仕事です。作って終わりではない」
作って終わりではない——。
山崎社長のその言葉通り、スイーツバンクが目指すものがある。
それは地域再生だ。
この施設がユニークなのは、春華堂の本社と、浜松いわた信金の支店が同居していること。
ここにも意味がある。
地域活性の拠点に
なぜ浜松いわた信金の店舗が併設されているのか。実は森田支店は以前、別の場所にあった。ことの経緯はこうだ。山崎社長と浜松いわた信金の御室健一郎会長が宴席で意気投合し、トップダウンでスタートしたのがきっかけだという。
「森田支店も老朽化していて、建て直しの話が出ていました。
だったら一緒にやりましょうと即座に決まったそうです」(森田支店の請井将矢支店長)
基本的に施設デザインなどは全て春華堂側がリード。
浜松いわた信金は取り立てて口を出すことはなかったが、唯一、注文したのが、外看板についてだった。
「建物にそぐわないという理由で、最初は外看板がありませんでした。
ただ、それがなくては何の店舗なのか分かりません。
そこで提案をもらったのが、豚の貯金箱だったのです。
春華堂が配慮してくれて、青と黄色の当社イメージカラーの案を出してくれたのですが、会長が『赤色にする』と一言。
それで決定しました」と請井支店長は苦笑する。
ただ、見た目のインパクトは強く、若い女性たちなどにとって恰好(かっこう)の写真スポットになっている。
この様子を見て、請井支店長はほっと胸をなで下ろしたそうだ。
浜松いわた信金のミッションは地元企業の発展を支えること。
それを加速させるためにも、スイーツバンクを「地域活性」の拠点にしたいという思いがある。
この施設がある神田町には、「神田大通り発展会」という、20社ほどの企業が集まる自治組織がある。
発展会では、道路整備や街灯の取り付け、防犯パトロールなどを協力して行っている。
以前は、球技大会なども開催されていたが、時代とともにアクティビティーはなくなっていった。
浜松いわた信金は、まずは企業同士の交流を促して、活気を再び取り戻したいと考える。
春華堂も地域交流には前向きだ。すでに地域の菓子メーカー2社とともに商品開発する企画も浮かび上がっているという。
これは春華堂にとっても画期的な出来事だ。
「これまでは他社と連携することはあり得ませんでした。
自分たちで全てやるのが創業以来のスタンスですから。
ましてや、菓子屋同士がコラボすること自体が異例ですよ」と、自社のことながら山崎社長も驚きを隠せない。
浜松を「スイーツの街」に
スイーツバンクができたことで、早くも街に変化が生まれている。
道路を挟んで向かいの陶器屋が、施設のオープンに先んじて、数百万円かけて店舗をリノベーションしたのだ。
街の景観に合わせたいという思いだったという。
もちろん自発的な取り組みである。
この粋な行動に山崎社長は大いに喜び、こうした流れが次々と起きれば、すごいことになると感じている。
行政ではなく、地元の企業が主体となって、街を再デザインするというのは、あまり例を見ないことだからだ。
鈴木康友市長もこの地域を中心に、浜松を「スイーツの街」にしたいと意気込んでいる。
こうした動きの中で、春華堂はあくまで黒子に徹する考えだ。
「一人勝ちはあまりよくないです。
春華堂が、ではなく、皆で作ったものでありたいと考えています。
浜松の地域が長く残っていくためには共存共栄が大切」と山崎社長は話す。
その上で、浜松を元気にしたいという気持ちは人一倍強い。
コロナ禍で今は自由な往来が難しいが、いずれは浜松に大勢の人たちを呼び込むための集客装置として、スイーツバンクをもっとアピールしていきたいと考えている。
すでに実績はある。
春華堂の工場と観光施設を兼ねた「うなぎパイファクトリー」だ。
2005年にこのファクトリーを立ち上げた背景には、地元住民からの強い要望があったという。
「昔は工場の内部を見せていましたが、時代とともに、食品衛生面などで工場に人を入れるリスクが大きくなって、いつしか止めてしまったのです。
ただ、幼少期に見学したことがある地元の大人たちは、自分たちの子どもにも見せてあげたいと思うのは当然ですよね。
何年間もそうした要望が寄せられ続けた結果、うなぎパイファクトリーの建設に動いたのです」
工場ごと観光施設にしてしまえば、地域の小学生や幼稚園児だけでなく、全国から観光客が集まるかもしれない。
その狙いが的中し、コロナ前には年間70万人が押し寄せる一大観光スポットとなった。
これに、同社が運営する商業施設「nicoe(ニコエ)」と、スイーツバンクを加えて、年間200万人の来場者数を目指したいと、山崎社長の鼻息は荒い。
菓子の役割
近年、ユニークな事業展開を次々と繰り広げるため、春華堂には他の企業や行政などから
「何か面白いアイデアはないか?」
といった相談が増えているという。
「この10年くらいどんどん面白いことをやっているので、周囲の期待感が高まっているみたいです。
ただ、われわれは菓子屋。
企画屋ではないです(笑)。
だから、これはできる、できないははっきり伝えています」
あくまでも菓子屋という、山崎社長の言葉の意味は大きい。
だからこそ、菓子に求める理想も高い。
春華堂にとって菓子とは「笑顔」を届けるものなのだ。
「スイーツバンクにやって来た人たちが、家に帰って家族団らんのときに
『こんなところで、こんなお菓子を買ったんだよ。
あれすごいよね、あれ面白いよね、あの店員さん面白かったよね』
と言いながら食べてもらうのがお菓子の役目なのです。
そうしたシーンを作るのが自分たちの仕事だと思います」
ただ単にお菓子を作って売るだけではない。
家族団らんの中心にお菓子があって、笑いながら食べるお菓子のほうが絶対に美味(おい)しい。
山崎社長はそう信じて疑わない。
だからこそ、家族の会話の話題に上るよう、スイーツバンクのリアリティーにもこだわったのだ。
「うなぎパイが大事にしている家族団らんというコンセプトが想像できる施設がいいよねというのが最初にありました。
いろいろなアイデアを出してもらう中で、巨大な机と椅子が出てきた。
本当にこれがあったら面白いよね、見て笑えるよね、驚いてくれるよね、記憶に残ってくれるよねと、メンバー皆同じ気持ちになりました」

記憶に残る場所で買ったお菓子は、特に子どもたちにとって、「あの机と椅子のところで買ったうなぎパイは美味しかったよね」となり、もう一度、あの場所に行きたいという動機付けにもなるという。
お菓子を通じて人々を笑顔にさせる。
これが商売にとっての原理原則であることを、スイーツバンクは示しているのだ。
(フリーランス記者 伏見学)












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