「Left Handers Club Day.: 左利きの日(8月13日 記念日) 。」
Tokyo 2020


今日は何の日 8月13日
左利きの日(8月13日 記念日)
イギリスの「Left Handers Club」が制定。
日付は提唱者の誕生日から、とのこと。
同Clubは、1990年(平成2年)に活動を開始した。
左利きの人たち、特に左利きの子ども達が学校で直面する問題について、より多くの製品を作り、意識を高めることを目的としている。
Left Handers Club
この日とは別に、2月10日が「レ(0)フ(2)ト(10)」と読む語呂合わせで日本独自の「左利きの日」となっていたが、現在は「左利きグッズの日」となっている。

( ノ゚Д゚)おはようございます、今日は待ちに待った「自動車運転免許証」の更新でした。






今日の気になる話題は此方です。
外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」
Number Web>他競技>外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」オリンピックPRESSBACK NUMBER posted2021/08/09 17:02

<Number Web> photograph by Getty Images
外国人記者たちに話を聞くと、ホテル近くのセブンイレブンを毎日のように愛用していたという声が多かった(写真はイメージ)
近藤奈香 Naka Kondo photograph by Getty Images
閉幕した東京五輪。
来日した外国人記者・カメラマンらに、大会の終わりに“本音”を聞いた。
彼らが話してくれた「コンビニ愛」、「交通のもどかしさ」そして「日本人のホスピタリティ」とは――。
「オリンピックの取材を10回、12回、14回と重ねてきたベテランカメラマンであっても、今回に限っては一歩ずつ、様子を見ながら前に進むしかない」(ジョー・マクナリー氏、アメリカ人カメラマン)。地元から「望まれない」なかでの来日、到着後の自主隔離、猛暑……とアスリートのみならず、取材陣にとっても異例尽くしのオリンピックだった。
来日した取材陣のルーティンは「まず3日間の隔離生活を送った後、『オリンピック・バブル方式』に移行する、というものだった。(五輪関係者を外部と遮断するため)指定された宿に泊まり、専用シャトルバスで競技会場へ移動し、競技が終わると再びシャトルバスに乗り込み宿へ帰るというもの」(同前)。
もちろん近所にご飯を食べに行ったり、ビールを飲みに行ったりすることもできない。
そもそもそんな時間的・体力的余裕があるかどうかは別としても、ホテルからの外出は「15分以内」に戻る必要があるため、「ファミリーマートへの買い出しが、外出の全て。
(滞在した)16日間、朝・昼・晩とファミリーマートの“フレッシュでデリシャスな”サンドイッチの世話になっている。
卵が美味しいね」(同前)。

アメリカ人カメラマン、ジョー・マクナリー氏のお気に入りはファミマの『たまごサンド』
「セブンイレブンのエビマヨネーズおにぎりを毎日食べていた」
「バブル方式」の中で“隔離生活”をしてきた報道陣にとって、コンビニの存在感は絶大なもので、カナダ人レポーター(デビン・ハーロウ氏)の「セブンイレブン愛」が話題になったように、日本のコンビニ文化が海外報道陣の「生活の糧」となった。
なおハーロウ氏は『鶏から揚げおにぎり』、『枝豆チップス』、『ポカリスエット』を当初推していた。

「セブンイレブン愛」で有名になったカナダ人レポーター、デビン・ハーロウ氏のお気に入りは『枝豆チップス』、『ポカリスエット』
そのハーロウ氏と「同じセブンイレブン」を利用して、「あの店は“マイ”セブンイレブンだよ」と語ってくれたのがオーストラリア記者のエリック・バッグショウ氏だ。
「僕が個人的に気に入ったのはエビマヨネーズの入ったおにぎり。
本当に毎日のように食べたから最後には飽きてしまったけど……」と笑顔で話した。

オーストラリア記者のバッグショウ氏のお気に入りはセブンイレブンの『海老マヨネーズおにぎり』
コンビニが人気になったのにはこんな事情もある。
記者が集まるメディアセンターには「これと言って食べる物がない。
しかも中で買うことができるのは『プレミアム弁当(1600円)』『(唐揚げ4、5個入りの)ランチボックス(800円)』、アクエリアス300円……すべてが割高な“ディズニーランド価格”で販売されていた。
無料で提供されるのはコーヒー、ペットボトルの水、ゼリービーンズとチョコレートだけ」(日本在住のアメリカ人カメラマン、クリストファー・ジュー氏)、という声も聞かれた。
そんななかで値段も手頃で、味も満足できるコンビニ食が記者たちにウケたというわけだ。
「ランチパック(と思われる菓子パン)」を愛したカメラマン
さらに各競技会場によってメディアセンターで提供される食べ物には「差がある」(バッグショウ氏)という証言も。
「ソフトボール会場にはほぼ何も置いてなかったけど、新国立競技場ではシュウマイ(ギョウザ)のようなものもあったし。
そうそうスケボー会場はビーフコロッケがあった。これが個人的には一番嬉しかったね」(同前)
アメリカ人カメラマン、ジョン・マクナリー氏が出入りしたメディアセンターでは「ランチパック(と思われる菓子パン)」がプレス向けの軽食として出されたという(※本人はこう表現している。
「白く柔らかい四角いパンで、四辺がどういう仕掛けかピタリと接着されていて、中にマーガリンとイチゴジャムが入っている」)。
編集作業に追われる夜中に「ポップコーンを口に放り込むかのように、この白いふわふわのパンを食べている」とブログに記している。

アメリカ人カメラマン、ジョン・マクナリー氏のお気に入りは「ランチパック(と思われる菓子パン)」。
メディア関係者に配られたパッケージは異なるようで、詳しくは同氏のブログへ
UberEats派のイタリア人「スシもラーメンも美味しかったね」
一方で“美食の国”イタリアのカメラマン・ベッティーニ氏はコンビニではなく「もっぱらUberEatsを駆使してスシやサシミなど日本食を食べた。
ラーメンも美味しかったね」と語った。
「オリンピック専用シャトルバスでホテルに帰る途中にオーダーを入れていたよ。
セレクションも幅広く、ホテルに到着するタイミングであっという間に届けてもらえた」
前出のバッグショウ氏も途中からUberEats派に切り替えた。

UberEatsでスシ、ラーメンを堪能する海外報道陣も多かったようだ(写真はイメージ) ©Getty Images
「ラーメン、スシ、“ジャパニーズ”カレーなどいろいろ頼んだよ。
ただホテルで何人も同じ時間に外国人記者がUberEatsを頼んだから、どの配達員が自分の食べ物を持ってきてくれたのか分からず、常に混乱が起きていたね(苦笑)。
6人くらいの外国人報道陣がスマホ片手にUberEatsのバッグを背負った人を追いかけまわしている光景を何度も見たよ。
追いかけてやっと声をかけても言葉が通じず……配達員が到着してから実際に注文した人の手に渡るまで15分はかかっていたね」
「専用シャトルバスはもどかしかったね」
豪メルボルンの日刊紙『The Age』のチーフ・レポーター、チップ・ルグランド氏は「通常のオリンピック報道であれば、現地の人々の生の声に耳を傾けたり、その街の雰囲気を肌で感じたり、ということが大事です。
今回は2週間、東京から完全に切り離された形で『ガラス越しに一生懸命トーキョーの様子を見ようとする』そんな感じでした。東京は交通機関がどこよりも発達している都市なのに、地下鉄で20分で到着するような場所にも専用シャトルバスで40分以上かけて移動する……交通に関してもどかしい点がいっぱいあった」という。
「バブル方式」を考えれば仕方がないものの、「シャトルバスでの移動が極めて非効率だった」とする声は他にも多く聞かれた。
今回の「バブル方式」は報道陣に過酷なスケジュールを強いるものだったようだ。
「みんな体力的に疲れていたよ」と前出のバッグショウ氏。
彼はソフトボールを取材するため福島に向かったが、当日午前1時半にオリンピック側が準備したバスに乗り、現地に午前5時に到着、競技スタートは午前9時。
それまでひたすら待ち、競技が終わると福島での宿泊は許されないため、正午に再びバスで東京のホテルへ戻ったという。
また8月7日(土)の午後に札幌入りしマラソンを取材、8月8日(日)には閉会式のために東京に戻り、8月9日(月)には帰国という強行スケジュールだとのこと。
7日の前に取材に応じた彼は「マラソンでは初めて、観客がいる様子を見られるのかな」と語っていた。

ソフトボールの試合が行われた福島県営あづま球場(福島市) ©JIJI PRESS
日本人のホスピタリティ
ルグランド氏は「コロナもあって、日本において五輪開催を支持しない人の方が多いという状況は分かっていたが、少なくとも自分たちを直接迎え入れてくれた人たちのホスピタリティには本当に感動した。
日本語もしゃべれない自分たちが『招かれざる客』として押し掛けてくるなかで、日本人のオリンピック開催にたいする“義務感”を非常に感じた。
オーストラリアでは日本よりも少ない感染者数でも都市封鎖が行われ、国民が家に閉じ込められている。
日本は感染者が急増する中、オリンピックを開催してくれた。
オーストラリアでは、家に閉じ込められている人々にとってオリンピックはこの上なく気分が高揚する素晴らしいイベントだ(豪選手も歴代でも最高レベルの好成績を残している)」と話した。
バッグショウ氏も「開催されたことに感謝しているし、記者としても政治報道やコロナ報道に疲れ切っていた中、ポジティブなニュースを報道できることは素晴らしい」と語る。

8月8日閉会式で披露された東京音頭 ©JIJI PRESS
アメリカ人カメラマン、マクナリー氏は「日本の人々はあらためて、この地球で他に類を見ないほど優しく、勤勉で、協力的だと思い知らされた。
スタッフやボランティアの人々は困難で複雑な状況の中、これほどまでに大変なイベントを成功させようと頑張った。
ある女性はこの迷子になったカメラマン(=自分のこと)を正しい場所に送り届けるのに10分もの距離を(目的地に到着するのを見届けるまで)一緒に歩いてくれた」とブログに記している。
真っ暗な渋谷のスクランブル交差点
最後に、ルグランド氏は「つい2日前に14日間のバブル(隔離生活)を終え、街に出ていくと、東京の人口を考えれば驚くほど人出が少なかった。
東京は言わば“自主的”自粛、という方針だから原則は20時以降の飲食店の営業が禁じられていたり、酒の提供も禁じられている。
でも裏通りや、ビルの2、3階など目立たない場所を探せば、いくらでも営業をしているお店を見つけることはできた。
その意味で“アンダーグラウンド”な東京を経験できる良い機会だったよ」と感想を述べた。
とはいえ「渋谷のスクランブル交差点に立って、電光掲示板が真っ暗になった時間だったのだけれど、本来であればここがオリンピックで盛り上がっていたはずだと思うと、ああ本当に大変な時にオリンピックを開催しているのだという感覚に襲われた」と話した。
海外の報道陣からは今回の五輪の取材が困難だったとはいえ、世界的な緊急事態下での出来事で「仕方がない」「この状態を受け入れるしかない」という声が大半というのが印象的だった。

この大会から「東京」に対する印象が、「アンダーコントロール」じゃなくて、「アンダーグラウンド」に変わったりして・・・・。











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