「I hope you a find good deal.:皆が好い買い物が、出来ます様に。」
主夫の日曜日


今日は何の日 8月5日
はしご車の日(8月5日 記念日)
国内の90%の「はしご車」の製造・販売を行う株式会社モリタホールディングスが制定。
日付は「は(8)しご(5)」と読む語呂合わせから。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
モリタでは国内初の「屈折式はしご車」をはじめとして、最新型の「はしご車」などを開発している。
日本には最低10メートルから最大50メートル(ビルの17階に相当)の高さまで届く「はしご車」があり、2014年(平成26年)時点で、国内最長の「はしご車」は石川県金沢市消防局配置の54.7メートルである。
1月7日は「消救車の日」、4月23日は「消防車の日」となっている。


( ノ゚Д゚)おはようございます、上の写真は「イオン市野店」専門店街で、毎度行列の出来る「タピオカ店」の相変わらずの風景です。
昨日も壮絶な暑さだったので、普段通りの「イオン市野店」買い出し以外は家に居ようと決意して出掛けました。
大分以前には、日曜日は午後から出掛ける事が多かったのですが、「東日本大震災」少し前から、我が家の家事分担で「一週間分の食料品の買い出し」が私のルーティンワークに為り、彼是10年以上に突入しました。
最初の頃は大型ショッピングセンターとは言え、男一人の買い物は人目が気に為ったものです。
今では余程目立つ格好や行動をしない限り、店内の誰も注目はしないモノだと理解していますが、慣れるまでの2、3年は大変でした。
其々の売り場の場所などを把握出来て自分でもようやく「慣れ始めたかなぁ?!」と買い物が苦にならなくなった頃、「東日本大震災」が起きて、其れ以降3カ月ぐらいは、被災地から遠く離れた静岡県西部でも多大な影響が。
「日本列島~狭いようで広い~歩こうよ~」は、何かのCMソングの一節だったか、浜松市東区市野町にある「イオンショッピングセンター」での買い物風景が一変したのは、未だに記憶に新しく、妙な連帯を感じた3カ月でもありました。
あの時の売り場は皆欲しいモノは暫し売り切れ状態が続き、特に顕著だったのは牛乳やヨーグルト等の乳製品で、追い打ちを掛ける様にどのレジも大混雑で、其の頃の名残からか、未だに日曜日の早目の時間での買い物を心掛けています。
其の間に割と近目にあった「イトーヨーカド」宮竹店が閉店し、その代わりに「コストコ浜松」が新規オープンしたり、等々他にも近隣の「大型ショッピング・センター」に大きな変化があり、今では当時を振り返る名残の御店さえ少ない現状ですが、常に変化する街を楽しみながら、買い物も「独り主夫」のイベントと割り切っています。
日曜日の朝は、「イオン市野店」を起点として、3パターンぐらいの移動パターンがあり、①時間的に余裕がない場合は、そのままUターンして自宅へ、②少し時間的に余裕があり「コストコ浜松」に向かう、③駅前の遠鉄百貨店に行く、のいずれかになります。
流石に連日の猛暑日や厳冬の候には、買い物自体がシンドイと思う時もありますけど。








今日の気に為る話題は此方です。
イラン緊迫 中東・アフリカ
イラン、新たに外国タンカーを拿捕 ペルシャ湾で
2019/8/4 18:19 (2019/8/4 21:46更新)

7月に拿捕(だほ)した英タンカーの近くを航行するイラン革命防衛隊のボート(イラン南部バンダルアバス)=ISNA・WANA提供・ロイター
【ドバイ=岐部秀光】イラン革命防衛隊は4日、ペルシャ湾岸を航行中の外国タンカーを石油の密輸をしていた疑いで拿捕(だほ)し、外国籍の乗員7人を拘束したと発表した。
船籍や乗員の国籍はわかっていない。
米イランの対立を背景とするペルシャ湾岸の緊張が一段と高まりそうだ。
国営メディアなどによると、タンカーは7月31日、イラン南部ブシェールの沖合のファルシ島付近で拿捕され、ブシェール港に移動させられた。
革命防衛隊はタンカーが70万リットルの石油製品をアラブ諸国に向けて違法に運んでいたと指摘している。
革命防衛隊は7月中旬にもホルムズ海峡で英国のタンカーを「国際海事ルールに違反した」として拿捕している。
世界の原油輸送の大動脈であるペルシャ湾岸で、民間船舶の航行の安全をめぐる懸念がさらに高まるのは確実だ。
米国とイランの対立は、米制裁で経済への打撃が広がったイランが反発を強め、緊張が高まった。
2018年に米トランプ政権が一方的にイラン核合意から離脱した後もイランは義務を守り続けていたが、ここにきて合意からの逸脱を増やすなど挑発的な動きに出ている。
6月以降は、何者かによるタンカーへの攻撃も相次ぎ、米国はイランによる犯罪と断定した。
イランは関与を否定した。
米国は民間船舶の安全な航行を守るための国際的な有志連合をつくる必要があるとして同盟国などに参加を呼びかけている。



芭蕉俳句: 西行の草鞋もかかれ松の露 (さいぎょうの わらじもかかれ まつのつゆ)
時代背景&解説:元禄2年9月。
『奥の細道』旅中、大垣。
一説には貞亨5年の『笈の小文』の復路の折の説もある。
いずれにしても誰かの所有している西行松の絵に賛を依頼されて作った句らしい。
西行草庵の松の絵。
この絵を見ていると露を置く松の小枝に西行の草鞋がかかっていはしないかと思わず探してしまう。
この絵には、『山家集』の「ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松は独りにならんとすらむ」の松が描かれていたのであろう。









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