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「The Last Days of Pompeii.: ポンペイ最後の日(8月24日 記念日)。」 

国際情勢
08 /24 2021
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今日は何の日 8月24日

ポンペイ最後の日(8月24日 記念日)
西暦79年のこの日、イタリアのヴェスビアス火山が突然噴火し、麓のローマ帝国の町ポンペイの市街が約8メートルの火山灰により埋没した。

1738年に農夫がこの遺跡を発見し、発掘により当時の町の様子がそのまま出現した。
イギリスの歴史小説家・リットンの『ポンペイ最後の日』(1834年)は、この大噴火を題材にしたものである。
この小説はたびたび映画化もされている。

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( ノ゚Д゚)おはようございます、昨日は毎年恒例の「24時間テレビ」、いつもの「イオン市野店」で募金箱を見掛けました。
また先週も「昭和」を代表する有名人が、数名お亡くなりましたね。
もはや「令和」とは言え、いやはや「昭和」は遠くなりにけり、ですか。

24時間テレビ、放送中の募金総額4億2千万円超に

「九月の空」で芥川賞、高橋三千綱さん死去…73歳

JAC出身の堤真一が千葉真一さん追悼「演劇に関わるきっかけつくっていただいた」

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【悼む】今の吉本は笑福亭仁鶴さんなくしてあり得ないー「松鶴」襲名を拒み続けた理由

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故人を偲びつつ、今週は自分自身の誕生日なので、晩酌の御伴に亀田製菓の「懐かし カレーせん」を頂きました。

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進む「反体制派狩り」、死者も タリバン首都制圧1週間―アフガン
時事ドットコムニュース>国際>進む「反体制派狩り」、死者も タリバン首都制圧1週間―アフガ… 2021年08月22日07時24分


アフガン
20日、アフガニスタンの首都カブールでタリバン戦闘員立ち会いの下、行われた金曜礼拝(AFP時事)


 【ニューデリー時事】アフガニスタンでイスラム主義組織タリバンが首都カブールを制圧し、国家運営の実権を掌握してから22日で1週間。
タリバンは、米軍協力者を含む全国民の「恩赦」や女性の権利の保障など融和姿勢を打ち出したが、この間も戦闘員による「反体制派狩り」といった抑圧の実態が次々に判明。国民の将来への不安は高まる一方だ。

 ◇ジャーナリスト弾圧

 ドイツの放送局ドイチェ・ウェレは、タリバン戦闘員が18日、同局所属のジャーナリストを捜す過程で親族を射殺したと報道。
「良心の呵責(かしゃく)がない」行為で、「タリバンがジャーナリストの組織的捜索を行っている証拠だ」と強く批判した。
他にもジャーナリストの殺害や誘拐の情報が浮上している。
 タリバン戦闘員は、カブールをはじめとする都市部で住宅を一軒一軒回り、批判的な市民のあぶり出しを進める。
地元ジャーナリストは電話取材に、「海外の記者とやりとりをした後、メッセージを消去するようにしている。
証拠が残っていると自分や家族の身に危険が及ぶ」と打ち明けた。
 ロイター通信は21日、「タリバンメンバーが起こした複数の残虐行為や犯罪について耳にしており、捜査する」というタリバン幹部の話を伝えたが、実現するかどうかは不透明だ。

 ◇タリバン旗拒否、反攻準備も

 タリバンのザビウラ・ムジャヒド報道担当者は17日、カブール制圧後初めて開いた記者会見で、公務員や崩壊したガニ政権関係者を含め、全国民を恩赦すると表明。
「イスラム法の枠内」での女性の権利保障や報道の自由にも言及し、新体制に協力するよう求めた。
 しかし国民の間では、極端なイスラム教解釈に基づく恐怖政治を敷いた2001年までの旧タリバン政権の記憶は鮮明だ。
今月15日にカブールが陥落すると多数の市民が空港に押し寄せ、滑走する米軍機にしがみついた人が離陸後に墜落死する事故も起きた。
 抵抗の動きも出始めている。
19日の独立記念日に前後して、タリバン旗ではなくアフガン国旗を掲げたデモが各地で行われ、一部がタリバン戦闘員と衝突し、死者を出す事態に発展した。
カブールの街角で、女性が政治や経済活動への参加を求めプラカードを掲げる姿も報じられている。
 サレー第1副大統領は17日、大統領を務めていたガニ氏が国外逃亡したことを受け、憲法上の規定を基に「私が正統な暫定大統領だ」と宣言した。
かつてタリバンとの戦闘で名をはせた故マスード司令官の息子が、本拠とする北部パンジシールにサレー氏を迎え、反攻の準備を進めているとも伝えられる。
 各国のタリバンに対する疑念が解消する気配はない。
先進7カ国(G7)外相による緊急テレビ会議後に発表された声明は、女性や少数派の人権尊重、「アフガンの将来のための包括的話し合い」に関与していくと強調し、タリバンをけん制した。

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「International Day for the Remembrance of the Slave Trade and its Abolition.: 奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー(8月23日 記念日) 。」

国際情勢
08 /23 2021
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今日は何の日 8月23日

奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー(8月23日 記念日)
1998年(平成10年)に国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が制定。
国際デーの一つ。
英語表記は「International Day for the Remembrance of the Slave Trade and its Abolition」。

1791年8月22日の夜から23日にかけて、フランス植民地のサン=ドマング(現:ハイチ)で、大西洋奴隷貿易の廃止の重要なきっかけとなった「ハイチ革命」が始まった。

この日は奴隷貿易の廃止において重要な日であり、これを記念した日である。
また、この国際デーは、奴隷貿易の悲劇を全ての人々の記憶に刻むことを目的としている。

ユネスコ加盟国において毎年この日に、青少年や教育者、芸術家、知識人を招いてイベントが開催される。
ユネスコの文化越境プロジェクトである「奴隷の道」(The Slave Route)プロジェクトの一環として、奴隷制の「史的要因・制度・状況」について学び、注目する機会となっている。
また、アフリカ・ヨーロッパ・アメリカ・西インド諸島の間で行われた人間の大西洋貿易を引き起こした交渉についての分析と対話を行う場も設けられる。

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( ノ゚Д゚)おはようございます、最近の天候変化は凄まじいモノがありますね。
以前なら即「地球温暖化」の影響だ、世界規模の「異常気象」だとか騒いでいたのに。

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タリバンとは何者か、なぜ恐れられるのか
A Brief History of the Taliban's Rule in Afghanistan

2021年8月20日(金)18時43分NewsWeek スー・キム


タリバン兵
首都カブールではタリバンが民家をまわって「裏切り者」を探しているという未確認情報もある REUTERS

<20年ぶりにアフガニスタンの実権を掌握したタリバンとはいったい何者なのか、アフガニスタンはどうなるのか>

アフガニスタンでは、イスラム原理主義組織タリバンが全権を掌握。
国の将来を不安視する声が高まり、大勢のアフガニスタン人が、なんとか国外に脱出しようと試みている。

タリバンは1990年代後半、独自の厳格なシャリーア(イスラム法)解釈に沿って、アフガニスタンを支配していた。
2001年に米軍がアフガニスタンに侵攻したことで権力の座を追われたが、その米軍の撤退完了が8月末に迫るなか、タリバンは各地で攻勢を強め、8月15日には首都カブールを制圧。
再び政権を握ることが、ほぼ確実となった。

タリバンのザビフラ・ムジャヒド報道官は8月17日に開いた記者会見の中で、自分たちに反対してきた全てに恩赦を与えると宣言し、タリバンの新たな統治下においては、女性の権利も尊重していくとも述べた(ただしイスラム法の範囲内で)。

タリバンとはいったい何者なのか。
なぜこれほど恐れられるのか。
その歴史と最新状況について、以下に詳しく説明していく。

タリバンの起源
アフガニスタンの公用語であるパシュトゥー語で「学生たち」を意味するタリバンは、1979~89年によるソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したムジャヒディン(イスラム・ゲリラ組織の戦士)によって形成された。
カンダハル州のイマーム(イスラム教導師)だったムハマド・オマルが1994年にタリバンを創設し、米CIAとパキスタンの情報機関である軍情報統合局(ISI)が、同組織を密かに支援していた。

その後、パキスタンのマドラサ(イスラム神学校)で学んだパシュトゥン人の若者たちが、タリバンに参加した。
パシュトゥン人は、アフガニスタンの南部と東部で多数派を占める民族であり、パキスタンの北部と西部における主要民族でもある。

タリバンはアフガニスタン南部を拠点とし、同地域で影響力を拡大していった。
米シンクタンクの外交問題評議会はタリバンについて、ソ連軍の撤退後、1992年〜96年にかけて対立する複数のムジャヒディン組織が争いを繰り広げていたなかで、アフガニスタンに安定をもたらすという約束を掲げて、国民の支持を獲得していったと説明している。

タリバンは、2001年9月11日の同時テロが起きるまで、長年にわたって国際テロ組織アルカイダをかくまっていた。
米国家テロ対策センター(NCTC)によれば、タリバンはアルカイダが「テロリストを自由に補充し、訓練し、ほかの国々に配備できる」ようにするための拠点を提供していた。

2001年10月、アルカイダの撲滅を目指すアメリカ主導の有志連合軍が、アフガニスタンへの攻撃を開始。タリバンを権力の座から追放した。

『アフガニスタン/その文化と政治の歴史』の著者であるトマス・バーフィールドは本誌に対して、「タリバンの究極の目標は、アフガニスタンでイスラム法に基づく統治を行うことだ」と語った。

米ボストン大学の教授(人類学)で、同大学のイスラム社会研究所のディレクターでもあるバーフィールドは、新たなタリバン政権の約束が守られるかどうかについては「全ての人が注目している」と言う。
「彼らは以前とは違うし、公に示している姿勢も1990年代とは大きく異なる」と指摘した。

実際、タリバンには単独で行政サービスを提供する能力はなく、政府職員や医療、人道支援などの各種サービスを提供する組織の協力なしには国を統治できないと、バーフィールドは言う。
彼らが1990年代に「統治」したカブールは所詮、まともな政府もインフラもない廃墟だった。

それに対して現在のカブールは「500万人の人口を抱える大都市で、政府は安全だけでなく各種サービスも提供しなければならない。
タリバンがそれを行うためには、(自分た倒した」かつての敵の協力を仰ぐしかない」と言う。

「世界でも人権弾圧がひどい国」
タリバンは、1992年にソ連の傀儡政権が崩壊した後、1994年までに同国南部で影響力を拡大し、複数の州を制圧。
1996年9月までには首都カブールを掌握し、大統領を殺害してアフガニスタン・イスラム首長国を樹立した。

タリバン政権が最初に行ったのが、「コーランの定めに沿った法律の厳格な解釈」で、「女性やあらゆる類の政敵、宗教的少数派の処遇についての無慈悲な方針」が含まれた、とNCTCは指摘する。

米国務省民主主義・人権・労働局が2001年11月に発表した報告書によれば、1990年代後半にタリバンの支配下にあったアフガニスタンは「世界で最も人権状況の悪い国のひとつ」だった。
報告書は当時のタリバン政権について、「全ての国民を組織的に抑圧し、個人の最も基本的な権利さえも否定した」と指摘。同政権の「女性に対する戦争はとりわけ恐ろしいものだった」と述べている。

国際的な人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が2020年6月に発表した別の報告書は、当時のタリバン政権による抑圧には「処刑を含む残虐な体罰や、宗教・表現・教育の自由の極端な弾圧」も含まれたと指摘した。

当時のアフガニスタンでは、女性が仕事をしたり、教育や医療を受けたりする権利が大幅に制限された。
移動や服装についても制限があり、全身と顔を覆う「ブルカ」を着用しなければならなかった。
外出する際は男性の親族が付き添わなければならず、違反すればタリバンから暴力を振るわれるおそれがあった。

2001年の報告書は、「タリバン政権下で女性は尊厳を奪われ、家族を支えることができない立場に置かれた。
少女たちは基本的な医療も受けられず、一切の学校教育を受けられなかった。
歌や人形、ぬいぐるみも全てタリバンによって禁止され、子ども時代さえも奪われた」と指摘した。
「タリバンは女性に対して、レイプや拉致、結婚の強制などのひどい暴力を行った。
娘を守るために、パキスタンやイランに送った家族もいた」

手を切断する刑罰は廃止しない?
タリバンの新政権が以前とどう違うのかはまだはっきりしない。
AP通信は、新たなタリバン政権の下、女性は働くことを奨励した、と報道した。
8月16日にタリバン幹部がアフガニスタンのテレビ番組に出演し、女性キャスターからインタビューを受けた中で語った。
また少女たちは学校に戻ることが許され、学校の入り口ではイスラム教のヘッドスカーフが配られた。

またAP通信によれば、タリバンのムジャヒド報道官は17日の記者会見で、「イスラム法の範囲内で」女性の権利を尊重すると約束した。
だが90年代後半のタリバン政権下で導入されていた、犯罪者の手を切断する刑罰については、廃止を明言しなかった。

ムジャヒドは会見の中で、タリバンはアフガニスタン軍の元兵士や諸外国の軍に協力した請負業者や通訳に対して恩赦を与えると言明。
ロイター通信によれば、タリバンは元兵士や政府関係者に対する報復はしないと述べた。

それでもカブールには、不安が根強い。
AP通信は8月18日に、武装した男たちがカブールの民家を一件一件まわって、追放された前政府や治安部隊で働いていた者を探しているという住民の声を報じた。
だがこの武装した男たちがタリバンなのか、タリバンになりすました犯罪者なのかは分かっていない。

ムジャヒドは、タリバンが首都に侵攻したのは、警察がいなくなった後の法と秩序を回復させるためだったと主張。
カブールの治安が崩壊した責任は、前政府にあると非難した。



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