日曜日の散策②。
日記

今日は何の日 3月20日
電卓の日
日本事務機械工業会(現 ビジネス機械・情報システム産業協会)が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定。
1964(昭和39)年3月18日にシャープが国産初の電卓を発売したことを記念し、記念日は覚えやすいように3月20日とした。

おはようございます(´・Д・)」、今月は年度末なので交替勤務にも変動アリで、今週は通常時間帯の勤務ですが、来週は夜勤と、まぁアリガタイ部類の変動ですが、3交替なので、何処かで皺寄せが来るのでは?!と思っています。

天平の甍 -遠江国分寺跡とその周辺-
磐田市内には、古代の寺院や役所の遺跡が分布しています。
特に奈良時代には大之浦に臨む台地上に、遠江国府や遠江国分寺、遠江国分尼寺、大宝院廃寺などが建てられました。
国分寺は国府の北方に建立され、その東側には府八幡宮、さらにその東には天御子神社が、国分寺の北方には国分尼寺が造られました。
天平13年(741年)、諸国に国分寺と国分尼寺を建立するよう詔が出され、遠江国分寺の建立が始まりました。
国分寺は金堂を中心に七重塔・講堂・中門・回廊などの伽藍が配置されていました。
伽藍は築地塀などによって区画されていたようです。
遠江国分寺は昭和26年に発掘調査がされ、七重塔跡をはじめ主要な伽藍が発見されました。
昭和27年に国の特別史跡に指定されています。
遠江国分寺は金堂を中心に、北側に講堂が、南側に中門が配置され、金堂と中門には回廊が巡っていました。
伽藍の範囲は東西180m、南北250mにも及び、その周囲にも関連した施設が点在して いたものと考えられます。
七重塔の跡には礎石が残っています。
国分寺の建立や維持には、莫大な労力と経費を必要としました。
中世になると国分寺は衰退し廃寺となりますが、国分寺の一隅に堂が建てられました。
磐田市のHPより一部抜粋





今日の気に為る話題は此方です。
「被災地にピアノを」活動終了へ 会「終息の時期」
3/20(火) 1:08配信 朝日新聞デジタル
「被災地にピアノを」活動終了へ 会「終息の時期」
寄贈されたピアノで生徒らが演奏を披露した=2014年12月19日、岩手県釜石市の釜石高校
寄付を募って東日本大震災の被災地にピアノを届けてきた市民団体「被災地へピアノをとどける会」(事務局仙台市)が活動を終了することを決めた。
支援を希望する人の受け付けはすでに打ち切っており、同会は「支援活動は終息の時期に来ていると判断した」としている。
同会は2011年6月、仙台フィルハーモニー管弦楽団の団員や仙台市在住の音楽家らの呼びかけで発足。
被災してピアノを失った学校や公共施設、避難生活を送る音楽家や音楽を学ぶ子どもらを支援してきた。
ピアノは全国の法人や個人から寄贈されたほか、寄付金で購入したものなど計513台(18年3月8日現在)に上った。
寄付金として、ベルギー在住の音楽家らがチャリティー演奏会で集めた収益が届いたこともあった。
在校生の多くが自宅を津波で流された岩手県釜石市の県立釜石高校には14年12月、新品のグランドピアノが届いた。
この年の秋に大阪市で開かれた音楽イベント「中之島まるごとフェスティバル」(朝日新聞社など主催)で集まった寄付金などで購入したもので、現在は体育館で誰でも演奏できる状態になっている。
同校で音楽を担当する山本友里恵教諭(52)は「合唱や吹奏楽のイベントで市民にも広く活用され、音楽の輪が広がっています」と支援に感謝した。
朝日新聞社
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最終更新:3/20(火) 1:08 朝日新聞デジタル











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