「New year day.:元旦 一月一日。」
時事問題


今日は何の日 一月一日
鉄腕アトムの日(1月1日 記念日)
1963年(昭和38年)のこの日、フジテレビで『鉄腕アトム』のテレビ放映が開始された。
初の国産アニメだった。
『鉄腕アトム』は、21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット・アトムが活躍する物語。
米題は『ASTRO BOY』(アストロ・ボーイ)。



( ノ゚Д゚)おはようございます、そして新年あけましておめでとうございます。
そして、本年も稚拙なブログですけど、よろしくお願いします。

さてご報告遅れましたが、12月の大晦日に「拉麺報労記」をして来ましたので、やや年月遅れ気味ですがブログに掲載します。
オーソドックスに「山岡家」のお薦めメニューの「ガツン系特製もやし味噌ラーメン」を頂きました。


一見、「二郎系ラーメン」っぽいですが、何方かと云うと、ドンブリ中央部に浮かんでる「黒マー油」が印象的で、スープのコクが売りのラーメンでした。
モヤシの上に「擦りオロシ生姜」も豪勢に載っているので、負けじと「豆板醤」や「擦りオロシニンニク」を我流で加えて味わいました。
まだ胃腸の調子が本調子じゃないので、軽くJazzyな感覚でスープを味わいましたが、とても美味しかったです。








今日の気に為る話題は此方です。
2019/12/31 11:38
ゴーン元社長、レバノンに帰国したらしい。このまま忘れ去られて行くのだと思う

■出国禁止のはず!? ゴーンさんはどうやって出国したのか?
12月30日に海外メディアはゴーン日産元社長がレバノン入りしたと報じている。
その情報を受けた日本のメディアも大晦日の31日になり、レバノン入りは本当かもしれないと報じた。
日産関係者に問い合わせてみると、現時点で確認する術は無いとのこと。
ゴーンさんと切れているのだから当然か。
追記・31日午後になってゴーン元社長自らレバノンに戻ったと声明を出した。
こうなると気になるのが「出国禁止になっている被告が海外に行けるのか?」。
簡単に書けば「裁判所の許可さえあれば出国可能」である。
ただしゴーン被告の出国が認められるかとなれば明確に「No」だと思う。
そもそも帰ってくるかどうか解らない。
日本の大手メディアは日頃の取材ルートから法務省に確認を取っているが(休みなので正式ルート無し)許可は出ていないようだ。
こうなると自分のパスポートを使って正規に出国することなど出来まい。
ではどうやって出国したのか?
調べてみたら、お金やコネクションさえあれば、そう難しくないようだ。
最も簡単なのは米軍ルート。
日本にある米軍基地に入ってしまえば日米地位協定により日本の法律で管理できない。
アメリカ政府の誰かが動けば難しくないこと。
この手段だと真偽の確認すら不可能だ。
今回ビジネスジェットでトルコからレバノンに入ったと言われている。
日本の横田基地からトルコのインジルリク米軍基地までの移動なら容易。
横田基地までは六本木から米軍のヘリを使えます。
というか、日本からトルコまで短い時間でダイレクトに行こうとすると、米軍が最も早くて確実だと思う。
その他、外国の政府要人がチャーターした専用機という手もあります。
今度どうなる?
ゴーンさん自身は正々堂々戦いたい気持ちを持っているようだけれど、これから最高裁まで戦おうとすれば下を見て10年くらい掛かる。
加えて一審で実刑になったら刑務所に入らないとならない。
もはや楽しい将来無し。
日本から脱出してレバノンに入れば、日本との間の犯罪者引き渡し条約無いため普通に自由な生活を過ごせるし、仕事だって出来る。
一方、日本の当局にとっても悪い話じゃないのかもしれない。
裁判で有罪に持ち込むのは難しいと言われており、無罪になったら日本の法曹界を揺るがす。
責任を取らなければならない人も出てくるだろう。
逃げられたら「やはり悪いことをしていた」ということで逮捕を正当化出来る。
加えて日産から放逐出来たし、15億円という保釈金が国に入ってくるのも大きい。
日本政府にだってメリットある。
いつまで火種を持っていても仕方ない。
政府は怒ってみせるかもしれないけれど、それが外交劇だ。
ということで、おそらくこのままゴーンさんは日本に戻らず、かといって日本側も打つ手無く、やがてみんな忘れてしまうという展開になりそう。
残ったのは日産のゴタゴタだけでした。
こうなれば日産も2020年は気分を入れ替えて頑張って欲しい。
(国沢光宏)
日本の「司法」&「自動車業界」に、相当失望した事件が、まさかこんな幕切れになろうとは・・・・。
会社事、世界の時節から取り残されている事を、逃亡と云うか緊急帰国にて「未解決なままの幕切れ」で証明してしまった様に見えて、更に失望しました。



芭蕉俳句: たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠 (とうとさや ゆきふらぬひも みのとかさ)
時代背景&解説: 元禄3年師走。
落剥した小野小町の絵姿「卒都婆小町」を見ての作といわれている。
「応ズ二定光阿闍梨之覓ニ一」<じょうこうあじゃりのもとめにおうず>の定光は三井寺の 別院定光坊の住職実永阿闍梨のこと。
この絵の中の小町は、雪も降っていないのに笠と蓑をつけた落ちぶれた姿をしている。
しかし、その若いとき絶世の美人ともてはやされた美しさもさりながらこの零落した姿もなお貴さをたたえていることだ。
芭蕉の乞食趣味が表出されている。











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