「I'm taking may life back .:私自身の人生を取り戻す。」
日々徒然


今日は何の日 2月21日
東京初の日刊新聞創刊日(2月21日 記念日)
1872年(明治5年)のこの日、東京で初めての日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が創刊された。
創刊者は戯作者の条野伝平、浮世絵師の落合芳幾らで、江藤新平らが後援した。
創刊号は片面だけ印刷された1枚のみで、代金は140文、1ヵ月銀20匁(もんめ:重さの単位で1匁は3.75グラム)であった。
外国人向けの新聞は19世紀中頃からあったが、日本国内のニュースが新聞になったのは明治になってから。
日本初の日刊新聞は1871年1月28日(明治3年12月8日)、横浜活版舎(のち横浜毎日新聞社)が創刊した「横浜毎日新聞」であった。
しかし、1940年(昭和15年)、東京の「帝都日日新聞」(現在のやまと新聞社)に吸収合併されたため、現存する中では「東京日日新聞」が最古となる。
毎日新聞は自身のことを「東京で最初の日刊紙」と表現している。
近代化は、なんでも「東京」が、最初かと思ってました。

( ノ゚Д゚)おはようございます、今更ですが、ブログ更新時に壁に貼ったカレンダーをぼんやりと見ていると、今月2月は3連休が二回もあるんですね。
まぁ「貧乏暇無」の叔父さんには、遠い「御伽話」の国の話に聞こえますが?!








今日の気に為る話題は此方です。
SMAP解散から3年 中居正広がジャニーズ事務所を退所へ
「週刊文春」編集部 source : 週刊文春
タレントの中居正広(47)が30年以上にわたり所属したジャニーズ事務所を3月いっぱいで退所し、独立する意向を固めたことが「週刊文春」の取材で分かった。
事務所関係者が「週刊文春」の取材に明かした。
2月21日にも正式に発表すると見られる。

中居正広 ©文藝春秋
中居が所属したSMAPは2016年12月末に解散。
その後も中居と木村拓哉(47)はジャニーズ事務所に残留したが、稲垣吾郎(46)、草彅剛(45)、香取慎吾(43)の3人はSMAPの元マネジャー飯島三智氏が代表を務める「CULEN」に移籍した。

「新しい地図」の3人 ©文藝春秋
前出の関係者によれば、中居は昨年9月までに契約を更新しない旨の意向を表明し、ジャニーズ側も了承した。
藤島ジュリー景子社長も中居の考えを尊重していたが、話し合いの時期に昨年7月に亡くなったジャニー喜多川元社長が病床に伏していたこともあり、結論は先延ばしになっていたという。
「契約問題の混乱を避けるために中居はCMに出演せず、7大会連続で司会を務めたTBSの五輪キャスターの仕事も辞退していた。
中居の運転手兼マネジャーも事務所から出向する形で活動をサポートする予定で、今後もジャニーズとは良好な関係を維持して行く」(同前)

©文藝春秋
昨年スタートした「中居正広のニュースな会」(テレビ朝日系)や01年から続く「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)など、現在出演中のレギュラー番組は4月以降も継続することが決まっており、東京五輪関連の別番組にも出演する予定もある。
昨年5月30日、「週刊文春」が事務所との契約問題や、SMAPの再結成などについて直撃した際、中居は「好きに書いていいよ」と笑顔で話していた。
木村とはSMAP解散後、一度も接点を持つことはなかった。
今後の焦点は「新しい地図」との合流だが、現時点でその予定はないという。

昨年6月の直撃時 ©文藝春秋
※2020/02/20 19:20追記:一部時系列に不正確な表現があったため、訂正しました。
「嵐」の「活動休止」と云い、最近は芸能・スポーツ・ニュースの多さに驚き、余り興味のない自分に、苛立ちさえ感じます。
まぁ振り返ってみれば、芸能人の知り合いなんて一人もいない一般人なんだから、現実的でない部分も大きいのですが。



芭蕉俳句: 薬飲むさらでも霜の枕かな (くすりのむ さらでもしもの まくらかな)
時代背景&解説: 貞亨4年11月22日頃。
『笈の小文』の旅で熱田蕉門の起倒<きとう>宅にて。
胃痛に悩まされ病臥。
このとき起倒が薬を買って芭蕉に与えたことが記録されている。
病身の身には寒さは身に堪える。
こうして旅寝の空で薬を飲む羽目に陥ったときにはなおのこと。
「霜の枕」は旅枕ということだが、霜があるだけ冬の旅を指す。









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