「Women's magazine.:婦人雑誌。」
日々徒然


今日は何の日 2月27日
女性雑誌の日(2月27日 記念日)
1693年(元禄6年)のこの日、イギリス・ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー(The Ladies Mercury)』が創刊された。
この雑誌は、男性と女性の両方に向けた週刊誌『ジ・アセニアン・マーキュリー(The Athenian Mercury)』から派生した雑誌として発行された。
恋愛や結婚など女性の悩み相談を扱った雑誌で、その内容は現代から見てもかなり斬新で、現在でも「Ladies Mercury」という言葉は、女性の性の悩み相談という代名詞になっている。
ちなみに日本初の女性雑誌は、1884年(明治17年)6月に近藤賢三が創刊した『女学新誌』である。
新聞に福沢諭吉らの婦人論が活発に登場したのに刺激されて近藤は誌面の一新を図り、翌1885年(明治18年)7月に改めて『女学雑誌』を創刊した。
「女学」とは、「女性の地位向上・権利伸張・幸福増進のための学問」である。
また、1911年(明治44年)9月に平塚らいてう等の女性による月刊誌『青鞜(せいとう)』が創刊された。
当時の日本では、女性は民法で家父長制に従属させられ、選挙権はなく、政治活動は禁じられていた。
そんな時代に、明治という新しい社会にふさわしい日本女性を作り出す目的で女性雑誌が発行された。

( ノ゚Д゚)おはようございます、それにしても安定しない空模様、先週は寒くなり、これからが冬本番か・・・・・と思ったら、今週は一転して、暖冬の見本みたいな日々ですね。
さて「今日は何の日」からと言うか、昨日のブログの続きと言うか、いわゆる女性週刊誌は、ファッション誌以外は余り興味ないですね。
雑誌類は、まだ立ち読み禁止令が徹底されていなかった頃の本屋さんや家族から急かされて通った床屋さんでの密かな楽しみでした。
更に幼い頃には、漫画を僅かな小遣いから出して、「仮面ライダー」の漫画版(多分 「週刊ぼくらマガジン」の連載)にワクワクしてました。
振り返ってみると、其の後親戚の家で「少年ジャンプ」を読んだりして、怒涛の漫画ベースなのは変わらないけど、年代によって読む雑誌類はかなり違いました。
大学生の頃は、自動車雑誌やオートバイ雑誌、割とオートバイ雑誌の時間を切り抜いた様な瞬間の美しい写真に惹かれて、・・・・一般男子同様に、「篠山紀信」さん全盛の頃の青年誌なども、読んでましたがネェ。
冷静になってリアルな日本を見つめ直したら、なにやら不穏雰囲気、東アジア全域も同様か、その中でも日本の対応は、やはり遅いと云うか、「イベント中止」の「御通達」が急遽全面的に出て、更なるカオスな状態へ・・・・・・関係者の方々の心痛如何許りか。


最近はブログネタに困ったら、「遠鉄百貨店」が定番になりつつあります。







今日の気に為る話題は此方です。
人気爆発の中国SF小説『三体』作家は国家組織の要人? 今年初夏に日本語版も完結
矢内裕子2020.2.24 11:30AERA#読書

中国で発売されている『三体(サンティ)』3部作。第2部は第1部の1.5倍、第3部は第1部の倍の分量という (c)朝日新聞社
劉慈欣(リウツーシン)さんによるSF小説『三体(さんたい)』が世界的に大ヒットしている。
FacebookのCEOザッカーバーグやオバマ前大統領が愛読していることでも知られ、ビジネスパーソンの関心も高まった。
著者の劉さんとは一体、どんな人物なのか?
* * *
『三体』邦訳の監修者・立原透耶(たちはらとうや)さんは自身も作家で、中国文学の研究者でもある。
劉さんとの交流もある立原さんは、「劉さんは中国で『子どもの読み物』とされてきたSF小説に新たな地位を確立した」と語る。
「ヒューゴー賞という世界的な賞を受賞したことで、政府は『SF作品を通じて中国文化を世界に広めることができる』と判断し、後押しを決めました。
その後もSF作品による世界進出を進め、国威高揚などに活用しています。
日本と大きく異なるのは、文学の動向に政策が関与する点ですね」(立原さん)
前出の成都は四川省の省都で、SF雑誌「科幻世界」の編集部も置かれている。
「SF都市宣言」のもと、今後はSFの聖地として都市を挙げて盛り上げていくという。
劉さんはこれまで純文学作家が中枢にいた国家組織の役職をはじめ、各地の作家協会やIDG資本という投資ファンドの要職にまで就いている。
「今や劉さんは中国国内の多岐にわたる分野で高い評価を受け、影響力のある人物となりましたが、お目にかかると知り合った頃と変わらない、温かい方です」(立原さん)
劉さんのヒューゴー賞受賞以降、たびたび中国のSF大会に招待され、作家たちと親交を深めている日本SF作家クラブの理事・藤井太洋さんは中国SFの魅力をこう語る。
「文化大革命の最中に生まれて西洋の文物を一気に吸収した劉慈欣のような世代から、グーグルに就職してグローバリズムの与える恩恵を肌身で感じている陳楸帆(チェンチウ ファン)、さらに世界第2位の経済大国となってから青春を送った汪カン(カンは人偏に兄)瑜(ワンカンユウ)ら若い世代までが、現役の作家として同じフィールドで作品を発表している。作家同士の交流も盛んなのが羨ましい」(藤井さん)

光の演出が鮮やかな世界SF大会の開会式。「とにかくスケールの大きさに衝撃を受けた」と早川書房の梅田麻莉絵さん。登壇者の右端が劉慈欣さん/2019年11月22日、四川省成都で(写真:梅田さん提供)
速く大きく変化する社会に育ち、勢いづく中国SFの作家たちは、世界に目を向けている。
「陳楸帆や夏笳(シアジア)は欧州のコンベンションにも精力的に参加して、直接、自分の作品と中国SFの魅力を伝えています。
彼らと語り合う話はいつも人類の来し方行く末。
隣国にそんな友人が生まれたことがたまらなく嬉しい」(藤井さん)
中国で生まれた壮大なSF『三体』。
そこには中国の現代史とイマジネーション豊かなSFの潮流が流れ込んでいる。
同時代を生きる日本の読者にとって、社会的な背景も含めて、刺激的な物語だ。
今年初夏に続編の『黒暗森林(こくあんしんりん)』の邦訳が刊行され、来年には3部作の日本語版がそろう予定だ。
(ライター・矢内裕子)
※AERA 2020年2月24日号より抜粋




芭蕉俳句: 月影や四門四宗もただ一つ (つきかげや しもんししゅうも ただひとつ)
時代背景&解説: 芭蕉は、美濃で休養を十分に取った後、貞亨5年8月11日、多数の美濃の門人に、それこそ盛大に見送られて『更科紀行』の旅に出発した。
この旅には門人越人が同行し、また荷兮が下僕を一名つけてくれた。
この旅は、姥捨て山(更科)の秋の月を見ようというのが目的であったが、旅全体は『笈の小文』の旅の付録といった位置付けになっている。
しかし、『笈の小文』の旅がどちらかというとよく知った場所の反復であったし、行く先々で多くの門人に囲まれて安全な旅だったのに対して、木曽街道の旅は物理的にも危険があり、追い剥ぎや山賊などの不安もないではなかったから気楽なものとは言いがたかった。
それだけにこの旅は多くの秀句を生み出し、収穫の極めて多い旅となった。
来年に迫った『奥の細道』への、肉体的・心理的・文芸的リハーサルとして詩人芭蕉生涯の大きな転機を与えた旅であったのである。
四門も四宗も意味がはっきりしない。四門とは、天台宗などでは、真理に至る四つの立場。
有門<(うもん>・空門<くうもん>・亦有亦空門<やくうやくくうもん>・非有非空門<ひうひくうもん>のことと言い、また密教では、曼陀羅の四方の門。東南西北を修行の段階に配して、それぞれ発心門・修行門・菩提門・涅槃門と名づける(以上『大辞林』)。
また、信濃の善光寺というがそれは実は4つの寺の綜合であって、それら夫々の門が四方にあって、それぞれ南命山無量寺、北空山雲上寺、不捨山浄土寺、定額山善光寺への入り口となっているのだという。
これを四門というというのである。
また、四宗は仏教における浄土宗・禅宗・真言宗・律宗など四宗 を指すとか、顕・密・禅・戒の四つを言うといったりする。
芭蕉がどういう意図で四門四宗を言ったのかは不明だが、善光寺の甍を照らしている 中秋の名月は、これこそ真如の月。
善光寺という四門四宗の寺を一つにして明るく照らしていて、ありがたい。
なお、句の配列は芭蕉と越人が歩いた順ではなく、坂城から次の浅間に行ったはず。









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