「A firm attitude.:毅然とした態度で。」
スポーツ&イベント


今日は何の日 11月8日
世界都市計画の日(11月8日 記念日)
アルゼンチンの都市計画学者カルロス・パオレーラ教授(1890~1960年)が1949年(昭和24年)に提唱。
英語表記は「World Urbanism Day」または「World Town Planning Day」。
世界都市計画機構の設立を目指したもの。
また、住みやすい共同社会を実現する役割を確認し推進する日である。
4大陸の30ヵ国以上で祝われている。
日本では東京都千代田区紀尾井町に事務局を置き、都市計画に関する政策の研究・知識の普及などを行う公益財団法人・都市計画協会が1965年(昭和40年)から実施。
この日には都市計画に関する講演会などのイベントを開催している。
都市計画に関連する記念日として、6月1日~6月30日の「まちづくり月間」、10月1日~10月31日の「都市緑化月間」、10月4日の「都市景観の日」がある。

( ノ゚Д゚)おはようございます、寒暖差の大きかった今週もようやく金曜日に、9月末から始まったラグビーワールドカップが終了して、久しぶりにブログ冒頭部で此のフレーズを使った気がします。
記念日からですが、出来るなら昨今の「大雨」に対応できる、災害に強い「都市計画」の街に住みたいですね。






今日の気に為る話題は此方です。
金子達仁が見てきた敗者の態度。
ラグビーW杯の今後と釜石の未来。
posted2019/11/06 20:00

<Number Web> photograph by Getty Images
表彰台から降りてまもなく、銀メダルを外したイングランド代表HCエディー・ジョーンズ。その表情から悔しさが滲み出ていた。
text by金子達仁Tatsuhito Kaneko
銀メダルを認めたくない、と感じるのはいけないことだろうか。
決勝戦のあと、準優勝チームに与えられる銀メダルを首にかけなかった、あるいはすぐに外した選手やスタッフがいたということで、イングランドが批判されている。スポーツマンシップに反する、ラグビーの精神にそぐわない、ということらしい。
ま、気持ちはわかる。
「ワールドカップ決勝で負けるのは生涯最悪の経験だ」と言ったサッカーのスーパースターがいた。
実際、その選手は再び「生涯最悪の経験」を味わったりすることがないように、二度とワールドカップには出場しなかった。
競技の違いはあるにせよ、あと一歩のところで世界一を獲り逃した、それも前評判では優位を謳われながら獲り逃したイングランドの選手が、自分たちが負けた証なんか欲しくない、身につけたくないと考えてしまったとしても、それは責められない、わたしには。
イングランドは敗北を引きずっていた。
一方で、ひとたび試合が終われば、どれほど激しくやりあった仲であっても、何事もなかったかのように抱擁し、健闘を讃えあうのがラグビーの精神だとするならば、確かにイングランドの態度はいただけない。
試合はすでに終わったのに、彼らの中では終わっていなかった。
敗北を引きずっていた。
それゆえ銀メダルにアレルギーを起こしたのだろうから。
非難した側とされた側、どちらの気持ちも言い分もわかる。
どちらかに肩入れするつもりは、実は、まったくない。
ただ、今後この種の論争が起きる頻度は、加速度的に増していくだろうな、とは思っている。
もし、ラグビーW杯が巨大化したら。
なぜラガーマンたちは、あれほど激しくやり合ったあとに互いを讃え合うことができるのか。
勝敗と同じぐらい、ひょっとしたらそれ以上に大切なものが、勝者と敗者の間で共有されているからではないか、と思う。
それは、ラグビーという競技を愛する連帯感であり、どれほど激しく身体をぶつけあったとしても、精神のコントロールを失ったりはしないという誇りかもしれない。
たとえ敗れようとも、無残な惨敗を喫しようとも、その誇りを否定したりされたりすることはない。
だが、この先ラグビー・ワールドカップという大会が巨大化していったらどうなるか。
大会が巨大化することで、ラグビー界に現在よりもはるかに多くの大金がなだれ込むようになったらどうなるか。
勝者が大金を手にできるようになったとき、つまり勝利の意味がいまよりももっともっと大きくなったとき、それでも敗者は、勝者と抱き合えるだろうか。
勝者は、敗者の痛みと寄り添えるだろうか。
わたしには、わからない。
ただ、ルーツを同じくしながら、ラグビーより1世紀ほど早くプロ化に舵を切ったサッカーが、もともとはあったはずの勝者と敗者が互いに尊敬しあう関係を失っていったことを考えれば、今後いよいよプロ化の道を進めていくであろうラグビーが、いまのままでいられるとも思えない。

負けたあとの態度を批判されたイングランドのような存在は、ますます増えていく気がする。
それがいいのか悪いのかは別にして。
釜石は、まだ1試合しかやっていない。
さて、6週間近く書かせていただいたこのコラムも今回がこれで最終回になる。
最後に1つ、どうしても書いておきたいことがある。
釜石はこのままでいいんですか?
ワールドカップ終了後、大会を統括するワールドラグビーは年間表彰式で釜石市に『キャラクター(品格)賞』を与えた。
ラグビー界に顕著な貢献をした個人や団体に贈られる賞だという。
うんうん、アジなことをしてくれるじゃないか、と感心する反面、外国人にホメてもらって、なんだかちょっといい気分になって、あとはそのままフェイドアウト……なんてことだけには絶対なったらいかん、とも思うのだ。
だって、釜石ってたった1試合しか、ワールドカップやってないし。
あらゆる人の思いが詰まったスタジアム。
瓦礫で埋めつくされた小中学校の跡地に、スタジアムができた。
10億円近いお金をかけて、照明施設と仮設スタンドを設置した。
釜石といえば大漁旗。
でも、サッカーと違ってラグビーの国際大会では大きなフラッグを打ち振る文化はない。
ひょっとしたらワールドラグビーから禁止通達されるかもしれないから、あらかじめ交渉しておこう──と考えた釜石の組織委員会の人たち。
あの釜石で試合が行なわれるなら、と全国から大会ボランティアに応募した人たち。

そんなそんな、いろんな人たちの労力と知恵と時間と……ありとあらゆるものを結集させて迎えたワールドカップが、たった1試合で終わってしまった。大会終了後、仮設のスタンドや照明施設は解体が始まっている。
やるしかないでしょ、来年以降も。
青臭いおとぎ話? そうかも。
新聞報道によると、早くも来年の7月、イングランドが日本と戦うことが決まったらしい。
今後、世界のラグビー大国が日本にやってくる機会はどんどん増えていくことだろう。
その中の1試合、1年に一度、とびっきりのカードを釜石に持っていく、ということはできないだろうか。
釜石は遠い。
鵜住居復興スタジアムは小さい。
けれども、ジャパンが世界の強国と戦うとなれば、ラグビーファンは足を運ぶだろうし、釜石であれば相手チームもスタジアムの小ささに納得してくれるだろう。
そして、釜石を年に一度、ラグビーファンにとっての聖地として育てていけば、交通の便に対する不満の声が高まり、改善の機運が高まり──スポーツが国や行政を動かす、ということにつながるかもしれない。
青臭いおとぎ話?
そうかも。
でも、諦めようとは思わない。
日本がアイルランドやスコットランドを倒す?
子供たちがラグビースクールに殺到する?
テレビの瞬間最高視聴率が50パーセントを超える?
日本中がワールドカップロスに陥る?
半年前だったら、どれもおとぎ話レベルだっただろうから。
予想外の盛り上がりの後「ラグビー・ロス」の貴方に、ボールゲームの筆聖・金子達仁の「Requiem・レクイエム・鎮魂歌」を捧げます。
正直言って「サッカー王国」と言われていた「静岡県」でさえ、「Jリーグ開幕」から「FIFA日韓2002サッカーワールドカップ」を経たら、此のていたらくですからね。
マイナーだったスポーツが一気にビックスポーツになった副作用は、思ったより重症だと思います。
そうは言っても、其の境界線は?と問われたら即答できませんけど。
只、以前と同じように子供たちがサッカーボールを蹴っている風景を、出来るだけ暖かい目線で見守りたいです。
勿論、Jリーグの集客力は、リーグ黎明期に比べたら致し方ない面がありますけど、個々の選手たちの成長は、著しくチーム力さえ整えば、先のワールドカップぐらいの戦績を示せる程成長してますから、特に其れ以上の結果を急に求めるような無理を言いたい訳じゃないですが。
何と云うか、応援したいスポーツは、テレビを見ても、スタジアムで見ても、違和感なく入り込めるスポーツが良いですね。
違和感があるだけでも、横道に逸れる疑問が次から次へと湧き、観ていてもゲームに集中出来ないので・・・・・・あくまでも、其の他、観衆の1人に過ぎない叔父さんの個人的な意見ですが。
「2位じゃダメなんですか?!」と質問した、美人議員にイングランド代表HCエディー・ジョーンズへ、同じ質問をして欲しいですね?!



芭蕉俳句: 龍門の花や上戸の土産にせん (りゅうもんの はなやじょうごの つとにせん)
時代背景&解説: 吉野と言えば桜だが、この花は桜か、山吹か不明。
色彩としては後者の方が鮮やかな感じがするが如何?
何れにしろ、この花を酒飲みの土産にしたら喜ばれることであろう。









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